話題|認知症分野の第一人者、精神科医の長谷川和夫さん逝去
このコーナーでも過去に2回取り上げた認知症分野の第1人者である精神科医の長谷川和夫さんが先月11月13日に老衰で亡くなりました。
以下新聞記事の抜粋。
認知症医療の第一人者として知られ、2017年10月に自らが認知症になったことを公表した精神科医の長谷川和夫さんが2021年11月13日、老衰のため死去した。92歳だった。告別式は近親者らで行われた。
精神科医の長谷川和夫さん
愛知県出身。1973年に聖マリアンナ医大教授となった。74年に、認知症の診断に使われる認知機能検査「長谷川式簡易知能評価スケール」を公表。91年の改訂版HDS-Rは今も広く診療現場で使われている。
2000年に高齢者痴呆介護研究・研修東京センター(当時)のセンター長となり、「パーソン・センタード・ケア」(その人中心のケア)の理念を普及させた。04年には、厚生労働省の検討会の委員として、「痴呆」という用語を「認知症」に変えるのに貢献した。
17年に認知症(嗜銀顆粒性認知症)であることを自ら公表し、新聞のインタビューでは、「『隠すことはない』『年を取ったら誰でもなるんだな』と皆が考えるようになれば、社会の認識は変わる」と、専門医である自分が認知症になった体験を伝える意味を語っていた。
その後も、「認知症というのは決して固定した状態ではなくて、認知症とそうでない状態は連続している。つまり行ったり来たり、なんだ」など、当事者としての言葉で、認知症についての発信を続けた。
認知症診断後の18年、子どもたちにケアの理念を伝えようと、認知症の祖母と孫の交流を描いた絵本「だいじょうぶだよ―ぼくのおばあちゃん―」を出版、自身の家庭で実際に起きた出来事をもとに、原作を手がけた。認知症の人が安心して暮らすために、人のきずな、つながりが大切であることを晩年まで訴えた。
ご冥福をお祈りいたします。
認知症を公表した当時の長谷川和夫さん(朝日新聞より転載)
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